どうという事もない日々の記録

[ はてなブログ版] 出かけた時の記録や備忘録的なメモなど。

この所暑い日が続いている。

 今日は溜まっている新聞や雑誌の整理を汗だくになりながらやった。

 そんな事もあって、古い新潮の目次を見ながら読んでない作品で、読む気を起こしそうなのを探していたら、先ごろ自殺で若くして亡くなった鷺沢萠の名前があった。名前だけは知っているのだが作品は読んだ事がない。エッセイか何かは読んだような記憶があるのだがはっきりしない。一寸興味を引いたので読む。

* 眼鏡越しの空 鷺沢 萠著 (新潮:平成16年2月号)
崔奈蘭という韓国名と前川奈緒の日本名の二つの名前を持つ主人公が、この夫々の名前での学校生活を描きながら、在日三世の韓国人としての意識の変化を書いている。一寸通俗的な面も感じられるが、日本人には体験のしようのない心のうちをよく描写していると思う。一気に読ませるだけの筆力と中味があった。

駅ビルの中にある大型書店で高校時代のチュー先輩を見かけ、主人公は声をかける。10年振りに会った二人。書き出しから引き込まれ、一気に最後まで読んでしまった。

 小学校時代にはこの名前で随分と嫌な思いをした。今となれば「組み合わせの不幸」で苦笑して済ませることでも、小学校時代の年齢ではそうも行かない。自己紹介での苦痛を早くも意識する。
----お名前は? ----さい・ならんです。

小学生なら次にどんな言葉の攻撃が来るか想像できますよね。まさにその通りなんです。作者が今の年齢になって振り返りながらのその時の気持ちが良く書かれていると思う。でも、この時の子供時代でも負けずに反撃し、友達も沢山いるようだしジメジメした暗さはない。

しかし、心の中で傷ついた捌け口を両親にぶつける。

>「サイテーだよ!こんな名前!」(原文より)

両親をどんなに傷つけたかはその時は分からない。
これまで二人の子供に公立学校に通わせていた両親は、長女だからという理由で、中学校に向けての所謂「お受験」勉強を両親から強制されるようになる。根が勉強好きな主人公はそこそこに有名な私立女子大学の付属に合格する。
ここで第二の名前「前川奈緒」の日本名になる。ここからの中高の6年間の生活を描いた部分がの小説の核心である。

小学校時代の名前にまつわる嫌な思いから断ち切れ、新しい前川奈緒の名でを得て、小学校時代のあの嫌な思いをしなくていい。しかし、主人公も成長する。韓国人であるのに名前を日本名にしている事の矛盾に悩む。折りしもチマチョゴリを着て登校する朝鮮高校の女子生徒が車中で衣服を切り裂かれる事件が起こった。この事件が学校で話題になった時の日本人の友達の反応が自分と違う事から自分が偽っている事を意識する。

高校へ進んで3年生のチュー先輩に出会う。中学時代からやっていたテニスを引き続き高校でもする。そのクラブのキャプテンが白春純(チュンスン=チュー先輩)である。主人公がチュー先輩に憧れの気持ちを抱くようになる過程が、読んでいてすんなりと入ってくる。

大学に入れば崔奈蘭でいこうと決心し、友達に告げる。

 タイトルの「眼鏡越しの空」はドリームズ・カム・トゥルーの歌で、これにまつわるエピソードも一寸とした感動ものである。

日本人に暖かい気持ちで見つめてくれているなあと感じさせられた。こんな気持ちのいい文章が書ける人が何故?

 この小説は、他の未完の小説と共に「ビューティフルネーム」と言う書名で新潮社から発売されている。
ビューティフル・ネーム