淀城跡の周辺をめぐる(2)鳥羽伏見の戦いの戦士の碑を訪ねる〜
「千両松激戦地の碑」から再び京阪淀駅まで戻り、周辺の寺院に東軍の戦死者が埋葬されたと言われる寺院を訪ねる。
淀城周辺の激戦区では多くの戦士が亡くなっているが、
新政府軍の戦死者は手厚く葬られているが、
賊軍である幕府軍の戦死者は賊軍という事で埋葬は許可されず野ざらしになっていたという。
所が、徳川幕府の親藩であった淀藩の住民は幕府側の戦死者の遺骸が野ざらしになっているのを見るに忍びづ、地元の住民や寺が宗派を超えて葬ったという。
【淀城周辺の地図】丸数字順に歩きました
千両松激戦地跡から淀競馬場へ
向かい側の淀競馬場へは千両松の碑から少し淀駅側に戻れば競馬場へ通じる地下道があり、
そこを通って競馬場入り口に向かう。
この地下道は競馬場と駐車場への連絡通路でもある。
【光 明 寺(浄土宗)】
【京都市立明親小学校旧藩校「明新館跡」】
旧淀藩の藩校「明新館」となっていた所」
幕府軍の戦士が幕府側と思っていた淀城への入場を断られ、ここを幕府軍の本陣とし
幕府軍の宿舎としていた所。
その後明治天皇がここを訪れている。
【長円寺(浄土宗)】
旧幕府軍の野戦病院でもあった寺院。
【この他の死者埋骨墓石や碑がある寺院】
*東運寺(曹洞宗)
* 大専寺(真宗大谷派)
* 文相寺(浄土真宗本願寺派)