どうという事もない日々の記録

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油掛地蔵 / 京都伏見

*1503997754*[京都][社寺]病院帰りに油掛地蔵へ
四週間に一回、高血圧症で診てもらっている病院通いも伏見に引っ越してきて以来だから15年になる。
この病院の南側に西岸寺というお寺がある。ここに油掛地蔵尊がある。
以前に一度立ち寄ってお参りしたことはあるのだが、ブログに残しておかなかったようだ。
平日の午前中と言う事でもあるのだろうがお参拝は私一人である。
近くの寺田屋は平日でも観光で訪れる人は誰なといるのだが〜
今日撮ってきたものを数枚載せておく。









【説明版の内容】
油懸山地蔵院西岸寺と号する浄土宗の寺で、
田那村 實天正18年(1590)雲海上人によって創建された。
地蔵堂には、俗に油懸地蔵と呼ばれる石仏の地蔵尊が安置されている。
寺伝によれば、昔、山崎(乙訓郡)の油商人が門前で転び、
この地蔵尊にこぼした油の残りを灌いで供養し行商に出たところ、
商売が大いに栄えたといわれ、以後、この地蔵尊に油をかけて
祈願すれば願いがかなうとして、人々の信仰を集めている。

 境内には「我衣にふしみの桃のいづくせよ 芭蕉
と自然石に刻まれた句碑がある。これは、貞享2年(1685)、
当寺の第3世住職任口(宝誉)上人を訪ねた芭蕉が、
上人の高徳を当時の伏見の名物であった桃に事寄せて、
その徳に浴したいと願って詠じたもので、碑は文化2年(1805)に建設された。
なお、地蔵堂は、明治維新鳥羽伏見の戦いで類焼したため、
明治27年(1894)に一度再建された。
現在の地蔵堂は、その後、昭和53年(1978)に再び建立されたものである。
                      京都市






















【説明版の内容】
芭蕉翁塚・任口上人

我衣にふしみの桃の雲せよ

貞享2年(1685)任口(宝誉)上人の高徳を慕って
たずねた芭蕉が出会の喜びを当時伏見の
名物であった桃にことよせて
「我家にふしみの桃の雫せよ」と詠じたもので
野ざらし紀行」には「伏見西岸寺任口上人にあふて」と前書がある。
碑は文化2年(1805)の建立である。
任口上人は当山の3世住職。重頼門下の俳人法名は如羊と称して、
宗因に連歌・維舟に俳諧を手ほどきし、晩年、談林の長老として慕われた。
当山に訪れる客は多く西鶴や其角、玖也、季吟 意 らの
当時の著名な俳人も多く足をとめた。
任口上人は、貞享3年(1681)81歳で示寂し、当山墓地に祀られている。
                         西岸寺