どうという事もない日々の記録

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六道参りと幽霊子育飴

昨日の京都市内は最高気温が38度だったそうだ。今日は昨日よりも低いらしいが、それでも(午後3時)36度。ヤッパリ暑い!!
今日から、東山の珍皇寺で六道参りが始まる。ここで迎え鐘を突き、戒名を書いた水卒塔婆を納めるとお盆が始まる。
ここは毎年お参りに来ているのだが、いつものことながら、迎え鐘を撞くまで相当並ばなければならない。今年もそれを覚悟していたのだが、案に相違して並んでいる人は少なかった。整理している警備員に聞いたら、早朝は相当並んでいたとのこと。丁度暑くなり始まる午前10時。お参りに来る人が少なくなってくる時間帯に上手くいき合わせたのだろう。

六道参りには順序があることを初めて知った。本堂の前の「群霊塔」に掲示がしてあった。それによると:
1:境内で高野槙を買う。
2:本堂前にて、水塔婆に戒名、俗名を書いてもらう。
(家で書いて持って行ってるが・・・)
3:迎え鐘を撞く。
4:水塔婆を本堂前の線香で浄める。
5:地蔵尊霊前にて水回向してその場に塔婆を納めておく。
と言うのが正式の順序だそうだ。
ある程度は出来ているのだが、高野槙だけはいつも最後の帰るときに買っている。

今年は六道参りの帰りに一寸した土産を買って帰った。

「幽霊子育飴」で、昔風の素朴な甘さの飴である。付いていた由来書によると:

『今は昔、慶長4年京都の江村氏妻を葬りし後、数日を経て土中に幼児の泣き声あるをもって掘り返し見れば亡くなりし妻の産みたる児にてありき、然るに其の当時夜な夜な飴を買いにくる婦人ありて、幼児掘り出されたる後は、来らざるなりと。
この児8才にて僧となり修業怠らず成長の後遂に、高名な僧になる。寛文6年3月15日68才にて遷化し給う。
さればこの家に販ける飴を誰いうとなく幽霊子育ての飴と唱え盛んに売り弘め、果ては薬飴とまでいわるるに至る。洵に教育の上に、衛星の上に此の家の飴ほど良き料は他になしと今に及んで京の名物の名高き品となれりと言う。』