どうという事もない日々の記録

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京都ジフテリア予防接種禍事件


元職場の仲間から自作本を戴いた。
今日の日記の表題がこの本のサブタイトルで、『京都ジフテリア予防接種禍事件』を扱ったものである。
これほどの犠牲者が出た薬害事件であるのに、これを読むまで全く知らなかった。

書き出しは、京都府衛生部発刊の「京都ジフテリア予防接種禍事件記録」死亡者名簿の足跡を辿る所からである。
昭和23年11月13日に最初の犠牲者(2才女児)が出る。更に翌日に同じく2才の男児が死亡。それ以降次々と68名の幼児の命が失われていく。

筆者はこの古い記録を頼りに犠牲者の家族を探し、当時の状況を聞き取る調査を始める。自らも予防接種により発病入院に被害を受け、69人目の被害者になるところを辛うじて免れ、その後の生を受けた事から、犠牲者の鎮魂をこめて、改めて古い資料を基にこの事件の掘り起こしを決意する。

消息の分かった30名の家族の声が載せられている第一章は、淡々と書き進められている事で返って惹き付けられて読み進んでしまった。
何××番目の犠牲者は〜といった書き出しで次々と進んでいく。読む方としては次第に事の重大さが徐々に伝わってくる。

第二章は死には至らなかったものの、被害者(生存者)も538名の多数に上り、その内の一人としての自らの生活の中から、家にある古い記録や、自らの記憶を掘り起こし、事実解明に動き出す。

第三章は事態発生後の京都府衛生部、京都市保健所の初期の対処、更にその原因の解明を当時の記録や、関係者の手記を元に述べられている。
筆者が経営工学を専攻していただけに、予防接種液の抽出検査の説明はなるほどと頷かせる説得力がある。
事件の全体像を浮かび上がらせ、この書の核心部分であるだけに一気に読ませるだけの内容があった。

昭和23年(1948)というから、戦後間もなくGHQの支配下にあった頃の事件。最初の犠牲者が亡くなった日、11月13日は東条英機に絞首刑の判決が出た日の翌日。

今なら大事件のこの出来事も、当時はマスコミも発達していなかったし、戦後の苦しい時期一人一人が生きていくことで精一杯。当事者以外の人にとっては、戦後の混乱時期の出来事の中に埋もれてしまっているのも仕方のないことと思う。

当時の生活状況、衛生状態、医療環境などは今よりはるかに劣っていると思う。
生命力の弱い幼児だけにこ、れだけの多くの犠牲者が出た側面もあるのではないだろうか。

もう一点、この本を読んで感じたことは、当事者のご家族や著者にははなはだ不謹慎な読み方かもしれないが、一種の事件物のミステリを呼んでいるような感覚になった。
近松本清張の「昭和史発掘」再読しているのだが、それとダブってしまうような所が感じられた。
戦後の混乱期、GHQによる予防接種法の急な制定。準備不足なままに予防接種の実施。

事件の原因となったジフテリア予防接種ワクチンの製造元「大阪日赤医薬学研究所」の製造主任が、かの有名な「満州731部隊」の前身「満州第25201部隊」で陸軍技手として各種予防接種液の製造に従事していたというから、まさに松本清張の世界である。

不謹慎な感想ではあるが、印象に残る本であった。

新風舎刊(東京都港区南青山)http://www.pub.co.jp
新風舎文庫¥800+税 田井中克人著
 京都ジフテリア予防接種禍事件69人目の犠牲者

69人目の犠牲者―京都ジフテリア予防接種禍事件

69人目の犠牲者―京都ジフテリア予防接種禍事件