どうという事もない日々の記録

[ はてなブログ版] 出かけた時の記録や備忘録的なメモなど。

台風21号近畿を直撃

8月28日南鳥島付近の海上で発生した台風21号は9月4日12時頃に
非常に強い勢力を保ちながら徳島県南部に上陸。
その後4日午後2時頃に神戸市に再上陸し、近畿地方を縦断し日本海を北上した。
高知県室戸市室戸岬では最大風速48.2メートル、最大瞬間風速55.3メートル、
大阪府田尻町関空島関西空港)では最大風速46.5メートル、
最大瞬間風速58.1メートルとなるなど四国地方近畿地方では猛烈な風を観測し、
観測史上第1位となったところがあった。
また、四国や近畿地方では海は猛烈なしけとなった。
気象庁 Japan Meteorological Agency
(台風データーは気象庁ホームページの資料を参照いたしました。)
高潮による関空の被害は甚大なものとなり、その影響は長引きそうだ。

このような大きな被害に比べると、身近な所での被害は生活に大きな影響を受けるほどではなかったが
それでもここ数年の台風の中では強烈な台風ではあった。
台風が最接近した頃は午後2時〜3時頃の昼まであったの不安な気持ちが多少はましだったのが救いだった。



【雨漏りをした二階の天井裏】




【隣のマンションの電話架線に飛来物が〜】




【翌日NTTが撤去してくれた】




桓武天皇陵からの桃山御陵への参道】

倒木や落ちた小枝が参道を塞ぎ立ち入り禁止になっていた。





【桃山城の櫓門 も立ち入り禁止】

楼門の西側から北堀公園に向かう通路も立ち入り禁止になっていた。




大手筋通りから桃山御陵へ向かう参道】


夏の平安神宮と神苑

六道参りの前に岡崎の方へ寄る所があったので、ついでに平安神宮を参拝してきた。
何回も行っている所ではあるのだが、社殿に参拝するのは久し振りである。
京都会館が改築されて「ロームシアター京都」となったあたりからこの辺一帯も整備されている。
現在、京都市立美術館が改築中だから、これが完成すれば新たな名所になるだろう。



平安神宮の入り口になる應天門(重要文化財)】




【社殿の東側の蒼龍楼・東歩廊(重要文化財)】




神苑の中の栖鳳池と泰平閣】





【泰平閣から見た栖鳳池】




神苑の花:オミナエシ




神苑の花:スイレン





【京都・時代祭館十二十二(トニトニ)】
平安神宮の西隣に「京都・時代祭館十二十二(トニトニ)」という商業文化施設ができていた。
時代祭りが十月二十二日に行われることから「トニトニ」と名付けられてるそうだ。
時間が無かったので中を詳しく見られなかったが、飲食店や土産物店が多数入っている。
時代祭りをテーマにした施設との事。
建物の隣が観光バスの駐車場になっているから、観光客が目当ての施設の感じがする。


六道参りでお盆行事の始まり

東山の珍皇寺へ六道参りをするのが京都のお盆行事の始まりである。
お寺の迎え金を撞き、先祖をお迎えする。戒名を書いた水塔婆を線香で浄め、
地蔵尊宝前に、水塔婆を高野槙で水回向を行ない、その場所に納める。
毎年同じ流れのお参りの作法である。
去年も、その前の年も撮った写真はいつも変わらない。
猛暑日がずっと続いていた教徒だったが昨日あたりから少し暑さも遠のいた感じで助かった。
関東に接近している台13号の影響かもしれない。











御香宮神社の夏越の祓いと茅の輪くぐり

7月も今日で終わり。明日から真夏の8月。
台風12号が去った後またまた猛暑日が復活した!
京都では7がつに35度以上の猛暑日が16日あったそうだ。
観測史上初めての事だという。

そんな猛暑が続く京都の7月31日は伏見の御香宮神社の夏越の祓いの神事と
茅の輪くぐりが行われた。
多くの神社では夏越の祓いは6月30日に行われるのだが、
祇園の八坂神社と御香宮神社は一か月遅れの7月に「行われる。

暑さのピークの午後4時頃に茅の輪くぐりのお参りに行ってきた。
この茅の輪くぐりは午後3時からの夏越の祓いの神事が終わってからでないとでき無いので
一番暑い時間帯だがこの時間に参拝してきた。暑さのせいなのだろうお参りの人は少なかった。





祇園祭の後祭の山鉾巡行

梅雨明け以降猛暑日が連続する京都市内。14日連続の猛暑日は気象観測を開始して以降はじめての事らしい。
そんな暑い一日の7月24日に所用があって四条烏丸まで出かけた。
用件が終わって地下鉄に乗るべく交差点まで来たら丁度後祭の山鉾巡行が通りかかった。
まだ祇園祭が17日の一回だけの折に山鉾巡行は何回か見てはいた。
暑いし、人出も多いし写真撮るのも一苦労していた。
前後に分かれた後祭を見るのは初めてだ。
京都の猛暑のためか、或いは後祭が小規模という事でもあってか、見ている人は少な目。
結構ゆっくりとみることができ、写真も楽に撮ることができた。
暑い最中の祭り見物。年寄りにはこのくらいの規模が丁度いいのかもしれない。

【 南 観 音 山 】





【 大 船 鉾 】




【 鯉 山 】




【 後祭山鉾巡行の後半部分 】

松下幸之助の思いを次の未来へ

もう過ぎてしまった事であるが、パソコンの写真を整理していたら
5月9日に「パナソニックミュージアム」へ行った時の写真が出てきた。
ブログにアップしようと思いながら放置したままになっていた。
以前に加入していたパソコンクラブの懇親会行事に参加させてもらった時の物である。
我が家の家電は父親の代からずっと松下電器の製品。
その懐かしさもあって一度訪れてみたいとは思っていたのだが、
5月にこういう企画があったので参加させてもらった。
ただ単に写真を並べるだけの内容だが・・・










淀城跡の周辺をめぐる(2)鳥羽伏見の戦いの戦士の碑を訪ねる〜

「千両松激戦地の碑」から再び京阪淀駅まで戻り、周辺の寺院に東軍の戦死者が埋葬されたと言われる寺院を訪ねる。
淀城周辺の激戦区では多くの戦士が亡くなっているが、
新政府軍の戦死者は手厚く葬られているが、
賊軍である幕府軍の戦死者は賊軍という事で埋葬は許可されず野ざらしになっていたという。
所が、徳川幕府親藩であった淀藩の住民は幕府側の戦死者の遺骸が野ざらしになっているのを見るに忍びづ、地元の住民や寺が宗派を超えて葬ったという。



【淀城周辺の地図】丸数字順に歩きました




千両松激戦地跡から淀競馬場へ

向かい側の淀競馬場へは千両松の碑から少し淀駅側に戻れば競馬場へ通じる地下道があり、
そこを通って競馬場入り口に向かう。
この地下道は競馬場と駐車場への連絡通路でもある。





【光 明 寺(浄土宗)】





京都市立明親小学校旧藩校「明新館跡」】

旧淀藩の藩校「明新館」となっていた所」
幕府軍の戦士が幕府側と思っていた淀城への入場を断られ、ここを幕府軍の本陣とし
幕府軍の宿舎としていた所。
その後明治天皇がここを訪れている。





【長円寺(浄土宗)】
旧幕府軍野戦病院でもあった寺院。






【この他の死者埋骨墓石や碑がある寺院】

*東運寺(曹洞宗

* 大専寺(真宗大谷派
* 文相寺(浄土真宗本願寺派